トムラウシ大量遭難を考える

 16〜17日にかけて大雪山系のトムラウシ山でアミューズトラベルのツアー18名(ガイド3人、客15人)中の8人と単独行の男性1名が、美瑛岳で6人ツアー(ガイド3人、女性客3人)のうち女性客1名の計10名が死亡した。死因は司法解剖の結果、低体温症による凍死であった。

 ここでは、アミューズトラベルの遭難について考える。遭難の詳細については、これから解明されるであろうが、新聞等の情報によると概略は以下のようである。
 このツアーの構成メンバーは以下のとおりである。
 男性ガイド3名
  男性ガイド61歳(トムラウシ山頂手前の北沼付近で低体温症で歩行困難となった女性とテントを張って留まる。死亡。)
  男性ガイド32歳(続いてトムラウシ山頂手前で女性客3人と男性客1人も低体温症になりテントを張って留まる)
  男性ガイド38歳(最後の10名を引率し、ばらばらになりながら、前トム平から道警に救助要請)
 ツアー客(年齢の太字は死亡された方)
  男性5人(69、66、65、64、61歳)(1名死亡
  女性10人(6968、68、64、64、62、62、61、59、55歳)(6名死亡)  

 このツアーの日程は概略以下のとおり。3日間で約40kmを歩くコース。
 
 14日(火)(雨)   :旭岳温泉〜(ロープウエイ)〜姿見駅〜旭岳〜間宮岳〜北海岳〜(白雲岳往復?)〜白雲岳非難小屋
 15日(水)(曇)   :白雲岳非難小屋〜高根ヶ原〜忠別岳〜五色岳〜ヒサゴ沼非難小屋
 16日(木)(暴風雨):ヒサゴ沼非難小屋〜トムラウシ山〜コマドリ沢〜短縮登山口〜トムラウシ温泉

 事故が起きた16日のツアー18名の行動は概ね以下のとおり。
 
  5:30  :ヒサゴ沼避難小屋を5時に出発の予定であったが、悪天候のため30分遅らせて5:30に出発。
 11:00頃 :トムラウシ山頂手前の北沼付近で女性一人が低体温症で歩行困難になる。
         ガイド(61歳)と女性の計2名がテントを張って留まる
 12:00頃 :トムラウシ山頂手前で女性客3人と男性客1人も低体温症。
         全員がこの場に1時間とどまる。結局、ガイド(32歳)と歩行困難の4人がテントを張って留まる
         ガイド(38歳)と残るツアー客10人の計11人がトムラウシ温泉を目指して下山開始。
 15:54  :前トム平からガイド(38歳)が110番通報。この時点でガイドに同行したツアー客は2名のみ
 23:49  :ユウトムラウシ第二支線林道に男女各1名自力下山
翌 0:55  :国民宿舎東大雪荘付近に男女各1名自力下山
  4:45  :男性1名自力下山

 結局、自力下山できたのは、男性客3名と女性客2名の5名のみであった。

 今回の大量遭難の主要な原因は何であろうかと考えるが、考えが纏まらないのである。
 その理由は、同時期に発生した美瑛岳の遭難は、ガイド3名に対し客3名の客にとって手厚い条件のはずのツアーでも64歳の女性が死亡しているからである。今回のアミューズトラベルのツアー客15人に対して、3人しかガイドがいなかったことが直接の遭難原因ではないような気がするのである。

 そもそも登山とはどういうスポーツなのであろうか。

 私は『何があっても生きて帰ってくることを前提に山域に入って活動するスポーツ』だと考えている。生きて帰ってくるためには、対象は山という自然なのだから、まず自然からの脅威について勉強しておく必要がある。その山域の気温、降水パターン、天候等。生息する動物についての知識。今回のツアー客とガイド、そしてツアーを企画したアミューズトラベルは、どの程度、自然からの脅威について準備していたのだろうか。

 北海道の山は、夏でも平気で氷点下になる。悪天候でもないのに強風が吹く。

 私は1999年の7月27日に後方羊蹄山(シリベシ山)に登った。周囲は晴れていたが、山頂部分は傘雲に覆われていた。雲の中に入ると強風で2〜3m先も見えない状況であった。結局、山頂付近で道に迷って頂上に辿り着けなかった。私はハイマツ帯の中に入り込んでじっと風に耐えてどう動くべきか考えた。だれも登山者が来ない中でどうにか道を探して一人で下山した。その2ヵ月後にこの後方羊蹄山の山頂付近で団体からはぐれて取り残された女性ツアー客2名が凍死した。9月である。死亡した女性の一人は京都出身で日本百名山の100座目だったと記憶している。この事実は非常に象徴的である。まがりなりにも日本百名山の99座を登っているということは、そこそこ山の経験はあるはずである。しかし、どういう山の経験をしたのかが問題である。ツアー主体で人の後を着いて行っただけなのか。自分で気候や地形を考える登山をしたのか。私はツアー主体の人間にも時々単独行をするように薦める。登山の本は単独行は危険だと禁止するが、私が最も危険だと思うのは、単独行の経験のない人間がツアーからはぐれる事態が生じた場合である。

 屋久島では、トイレに行くと言ってそのまま行方不明になった女性登山者がいる。登山道から外れて、来た方向が分からなくなったとしよう。登山道と真反対の方向に進めば当然、永久に登山道には戻れない。登山道と平行に進んでも永久に登山道には戻れない。根拠はないが、多分、登山道に対して30度以上戻る方向がずれたら登山道には戻れないのではないかと思う。私は単独主体で登山道のないところも時々歩く。よく道に迷う。だから道に迷うことは当たり前のことだと思っているし、迷った時点でより確実な地点に戻るすべを知っているつもりである。

 ツアー主体の人間が、ツアーから外れたときの不安感は凄いだろうと思う。正しい判断もできなくなるのではないかと思う。正確な情報か、少し記憶に自信がないが後方羊蹄山の遭難者はザックの中に防寒着を入れたまま着ることなく亡くなったと記憶している。低体温症のためであろうか。自分も時々面倒になって、雨具や防寒着を着ないで失敗することがある。

 さて、山登りは基本的に自己責任という。山の天候はある程度の予想はできても、詳細な予想はできないだろう。平地は平穏であっても山では強風が吹く。また、登山者のレベルも千差万別である。体力も千差万別である。1〜2日を夏山の悪条件で過ごすことはできても、3〜4日を連続して悪条件下で過ごすことは無理かもしれない。雨具も完全ではない。登山靴も完全ではない。そう考えると、素人同然の高齢者がそもそも立ち入ってよい山域・日数と立ち入ってはいけない山域・日数があるのではないか。ツアー登山・団体登山専門で山に登っている人間の中には、異常に単独を嫌がる人間がいる。怖いからか。自己判断できないからか。単独登山が良い事だとは言わないが、単独登山も出来ないようでは山の中で極めて脆い、危ない人間だと思う。

 山の楽しみ方は、千差万別であるから単独で登れない人間は半人前だとは思わない。健康登山があっても良い。花見登山も良い。それなら危ない所には行かないことである日帰り登山に徹するべきである。リーダーの跡にどんな状況でも付いていける範囲の登山にとどめるべきである。逆に日帰り登山でどこでも付いていけたからと言って過信しないことである。

 結局、今回の大量遭難の最大の原因は、“行くべきでない人間が、行ってしまった”事にあるのではないか、と思う。では、“行くべきでない人間”が、どうして行く羽目になったのか

 一つは、中高年の登山ブームである。現在の中高年は元気であるから、天候条件の良い状態であれば、日本のほとんどの山の縦走コースは難なく歩けるであろう。ツアーや中高年登山クラブも多いので、何も考えずに人の尻尾について歩きさえすれば、いつの間にか相当な高山も有名な高山も登れるであろう。そうすると自分は日本のどこの山でも登れる実力があると過信してしまうのではないか。 

 2002年7月にトムラウシで愛知の女性4人パーティと福岡の男女8人パーティが台風接近中にもかかわらず行動して女性各1名の計2名が死亡した。愛知のパーティは今回の遭難事故のコースと同じである。一方、福岡のパーティはやはり同じコースを逆にたどるものであった。今回の遭難コースは人気のコースなのかもしれない。また、遭難はこの2泊3日コースのうち、いずれもトムラウシ山頂付近で起こっている。トムラウシ山頂付近の勾配とか、風の通り道とか、この付近で遭難を生じやすい要因が何かあるのかもしれないが、あったとしてもそれは主要因ではないであろう。

 中高年は体力的に冷えに弱いのではないかと思う。自分自身歳を取ってきて、最近そう感じる。その冷えに弱い中高年が、長時間の雨、それも夏場に氷点下に近い気温と強風にさらされれば、弱い者は比較的短時間で確実に死ぬ。過去の多くの遭難事故がそれを証明している。今回の事故と2002年の愛知パーティは山中3日目に遭難したが、福岡のパーティは登山開始初日目に行動不能に陥っているのである。

 さて、“行くべきでない人間が、なぜ山に入ったのか

 一つは中高年登山ブームで甘やかされ、おだてられ、自信過剰に陥った中高年登山者の実力過信にあるように思う。その過信は山についての不勉強も影響しているように思う。北海道の山では、夏でも凍死する。このことを十分に理解し、過去の事故を調べ、装備を万端にする。これらが自らの手で行われていたのだろうか。

 ツアー会社の責任も無いわけではない。報道でも言われていたが、どの程度、必要装備と悪天候下での危険性について周知していたのか。ツアー会社は、ツアー登山の危険性について本当に危険予知しているのであろうか。どうも客の安全確保に万全の体制を敷いているように思えないのである。

 最後にガイドの責任について述べる。

 今回のツアーは、予備日もなく帰りの飛行機が決まっていたようなのでガイドはヒサゴ沼避難小屋での停滞を決意しにくい状況にあった。ガイドがヒサゴ沼避難小屋での停滞を決意するには、非常なプレッシャーが掛かることは容易に想像できる。アミューズトラベルの社長は予定変更の権限をガイドに認めていたとテレビで述べていたが。

 今回のガイドの行動で一つだけ拙いと思った点がある。12時頃にトムラウシ山頂手前で女性客3人と男性客1人が低体温症になった時、ガイドが全員をその場に1時間とどまらせた事である。

 雨と強風と低温条件下では、雨具の下の空気層が少なくなり、雨具の内側に凝結した汗により熱伝導性が大きくなる。即ち、体温の熱が格段に奪われやすくなる。熱が奪われやすくなると体温を維持するには、体の内部から発する熱量を増やす必要がある。それには体を動かすしかないのである。12時時点で既に18名中5名が低体温症で動けなくなったと言うことは、残りのメンバーもかなり危ない状況になっていることは容易に想像できる。その状況下で動きを止めて1時間もとどまらせる行為は、まだ自ら動けるツアー客にとって自殺行為であったと思う。今回、私が行った白馬岳でも感じたが、動きを止めた途端に寒さが徐々に身にしみてくるのである。それを防ぐには風を避けるか、動き続けるか、食事をするかしかないのである。

 ヒサゴ沼避難小屋に引き返すべきであったのか、予定通り国民宿舎東大雪荘に向かうべきであったか、トムラウシから先の地形を知らないので、それは私には分からない。しかし、ガイド、即ちリーダーはこういう非常事態にはツアー客に対して、自信を持って指示を出すべきである。ガイドの不安は、即ち、ツアー客の不安となり、ツアー客の不安は気力の喪失を生み出す。過酷な条件下では、人間は気力を失った時は死ぬ時だと思う。濡れた衣類は体温で乾かす。この気力が無くなったらやばい状態だと思うのである。そう言う意味で1時間も決断することなく立ち止まらせて残りのツアー客の気力と体力を消耗させたガイドの責任は重いと思うのである。この1時間で私は死ぬ必要のない人間まで死に追いやられたのではないかと考えている。

 工場では事故を減らすために危険予知活動やヒヤリハット活動が行われている。ガイドや山のリーダーも事故を減らすために山での過去の事故の事例研究からまず行うべきであると思う。

 例えば、今回の事故において12時に2回目の歩行困難者が出た時に最善のガイド又はリーダーとしての行動を考えることは、不幸にして自分がそのような場に立たされた時の判断力を養成するための教材になると思う。

仮にヒサゴ沼に引き返すか、国民宿舎東大雪荘に向かうべきかで考えた場合、

私が考えるヒサゴ沼に引き返す場合の長所と欠点は以下のとおり。
【長所】
・歩行距離が短く、高低差も少ない。
・今まで歩いて来た道なので、ガイドもツアー客も道を理解している。残されたガイドが一人しかいない状況下で元気なツアー客を先行させて、ガイドは末尾から弱った客を抜け落ちることなく補助できる。さらに歩行困難者が出た場合には打つ手はないが、それはどちらでも同じ条件。

【欠点】
・携帯の電波が届かないので救助要請が出来ない(報道内容からの推測を含む)
・来た道を戻ると言うことはツアー客の絶望感が増す?

私が考える国民宿舎東大雪荘に向かう場合の長所と欠点は以下のとおり。
【長所】
約2.5km先の前トム平まで行けば、携帯で救助要請ができる。(報道内容からの推測を含む)
 最後にツアー客10名を引率した38歳のガイドが客を置き去りにしながら先を急いだのは、救助要請のため?

・前トム平からコマドリ沢を下ってしまえば、樹林帯に入り風も避けられる。

【短所】
・ツアー客が道を知らない可能性があり、はぐれると迷子になる可能性がある。
・国民宿舎東大雪荘まで約7km以上あり、遠い。

 アミューズトラベルは、事故原因の究明と再発防止策を検討するため、第三者による調査委員会を設立することを決めたようである。
 遭難の詳細な状況と経緯、アミューズトラベルの責任、ガイドの判断の妥当性及びツアー客の装備や技術レベルが明らかになり、今回の遭難が今後の安全登山に役立てられることを望む。

(2009年8月1日 記)

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